Twitter:わか@若居キツネ(@wakai_kitune)
メール:wakawaka1166●gmail.com (●を@に変更)
書き人紹介
こんにちは、若居キツネです。
名前の由来は前半が本名、後半は決める時にたまたま狐を見かけたからです。
「わか」や「キツネ」と呼ばれることが多いです。リアルでの呼び名は「わか」なので、そっちの方が反応しやすいため緊急時は「わか」でお願いします。
栃木生まれ栃木育ちの地産地消です。埼玉に近いので残念ながら"なまり"はほとんどありません。
学校では情報工学を学び、今でも勉強を続けています。理系人間。でも教育も好き。
SEをやっています。プログラミングが苦手な情報系だったためSEを避けて就活してましたがいつの間にかなってました。根が情報系なので逃れられないのです。
ブログは読んだ本や食べたもの、体験したことなどの雑記。快適な暮らしを目指して日々格闘しています。
ブログの目的
ブログだけというわけではありませんが、僕は仲間が欲しいと思っています。一緒に何かしてくれる仲間、アウトプットするとリアクションしてくれる仲間。そんな人達と関わっていたい。それと、ブログって人柄がモロに出るので面白いんですよね。短文が飛び交うSNSとは違うんです。まるでその人の伝記を読んでいるような感覚。そこが好きでやっています。
もう少し大きな目的もありますがそれは後で言いますね。
好きなもの
面白いことが好きです。判断基準は僕の中にあるので説明は難しいのですが、人間味が溢れているものを好きになる傾向があります。
ふざけたことも好きです。ふざけリスト募集中!
飲み物はドクターペッパーが好きだけど結石ができてから水ばっかり飲んでます。結石はけっこう痛いので注意して下さい。転げ回るので非常に疲れます。
趣味
趣味ってなんだろう? これといった趣味はないんですよね…。趣味は作るものだと聞いたので作りたいんだけど。
読書は好きです。でも最近は小説を読まなくなりました。技術書とかですね・・・。あとは歴史とかかな? 人類史を紐解く「銃・病原菌・鉄」という本がお勧めです。サピエンス全史も。
昔読んでいた小説で今でもお気に入りなのは西尾維新先生の「戯言シリーズ」です。僕のバイブル的なものになっています。
狐面を集めるのも好きです。良いものですよ、あれは。
楽器も好きでギターとキーボード(シンセサイザー)を弾きます。ライブにもたまに出演します。絶対音感はありません。ほしい。
特技・能力
言語
C:学校の授業でやった程度
C#:研究で使った程度
Java:学校の授業でやった程度
日本語:ネイティブ
英語:TOEIC300点程度
MicrosoftOffice
Word:MOSスペシャリスト程度
Excel:MOSエキスパート程度
PowerPoint:不自由なくポスター作れる程度
Access:MOSスペシャリスト程度
Publisher:2,3回ポスターを作ったことがある程度
OneNote:便利らしいですね。僕は1週間で辞めちゃいました
その他PCスキル
動画編集はAviUtl、画像編集はGIMP、音楽編集はCubaseを使ったりしてます。
OSはwindowsとLinuxしか触ったことがありません。mac欲しい。
学校では画像系の研究室だったため画像系が得意です。詳しくは言えませんが、ドローンでRGB・NIRしてgimpでマスクでバイナリゼーションします。さらにマッチでアスキーしファジってちょっとレグレッション。ついでにアナリをティクスする合間にカップなラメンをイートする。そんな研究です。
経歴
幼児時代
逆子だったので帝王切開(母親のお腹を切る)で産まれてきました。出産間近で逆子の確率は5%のようです。僕の一番の反抗期は胎児で終わりました。
九州へ旅行に行きました。たぶん初めての家族旅行だと思います。その際に泊まったホテルへ20年ぶりに行ったという記事を書いたらFacebookでめちゃくちゃ拡散されてビックリしました!
20年前に泊まった鹿児島県指宿のホテルにアポ無し突したら盛大に歓迎された話
2歳の頃に喘息にかかって死にかけました。肺がパンパンだったそうです。数週間くらい入院生活をおくりました。おばあちゃんがウルトラマンの人形セットを買ってきて届けてくれたことを覚えています。
小さな家で従妹のお姉ちゃんとセーラームーンを見ていた記憶もあります。セーラームーンごっこをする時は必然的に僕はタキシード仮面でした。あいつどんなキャラだっけ? 全く覚えてない。
幼稚園時代
幼稚園に行くのが嫌で送迎のバスが見えると毎回泣いていました。なんでそんなに嫌だったのでしょうか? 不思議です。
その頃に夢中だった「ケンケンパ」を集中してやりたかったのかもしれません。
3歳の頃に水泳を始めました。喘息になり肺が弱かったためです。また、いざという時に生き延びるためだと父親が言っていました。
年中から年長へ上がる際に先生が変わるのが嫌だったため、靴箱付近で泣きまくりました。すると年中の先生が「大丈夫、変わらないよ」と言ってくれました。本当に変わっていませんでした。これは僕のせいだったのだろうか? 謎です。
小学生時代
(小学生時代の写真が無かったのでアッガイで許してください)
小学校では全学年で1組でした。僕の学年は4クラスあったため全て1組になる確率は1/4096です。こう考えると地味に凄いですね。
1年生の頃に空手を習いました。僕が貧弱で声も小さく気合いが無かったからです。三ヶ月に一回程度、武道館の前で準備運動の掛け声をする役割が回ってきます。僕にとってはまさに地獄。鬼の所業としか思えない。
1年生のマラソン大会で11位になりました。10位以内に入れなかったことが悔しかったため、地元のサッカークラブに所属しました。走り回るサッカーなら足が速くなるだろうという安直な考えです。
3年生では父親の知り合いがやっているパソコンスクールに通い始めました。最初な父親と一緒に通っていましたが、いつの間にか僕だけになっていました。1ヶ月くらいタイピングの練習をし、それからはWordをひたすらやっていました。かなり古いWordなのでめちゃくちゃ大変でした。古いソフトは直感で動かせないんですよね・・・。バージョンは分かりませんが、空白を入力するとデフォルトで「□」が表示されるやつです。タブとリーダーの設定でつまずいた覚えがあります。
4年生から始まる学校のクラブ活動では「パソコン部」に入りました。一太郎とかゲームをして遊んでいました。つまらなかったので5年生では「工作部」に入りました。みんなで出し合った意見から工作のテーマを決めるのですが、だいたい「ガンプラ」になります。「ガンプラが多すぎる」と先生に注意され、ガンプラは2回に1回やることになりました。でも結局、テーマが「ペーパークラフト」や「木工」であってもガンダムを作ります。もはやガンダム部です。
僕が初めて作ったガンプラ「ガンダム」
僕の勘違いで「ガンプラとしての接合部分」に墨入れを施されています
ギャンも作りました。こちらは「初代ガンプラ」なので色も付けなくてはいけません。これが凄く難しいんです・・・。
この画像の後ろにあるパッケージをご覧ください。「昔!」って感じですよね。
(出典Propeller-head ONLINE: Gundam アーカイブ)
なぜ初代ガンプラを買ったのかというと、友達のおじいちゃんがプラモデル屋をやっていて遊びに行ったとき目についたからです。
接着剤で付けるため可動域が狭く、間違えると固まって動きません。色付けも大変で全く再現できません。
再現できないのだったら、いっそのことオリジナルのギャンを作ればいいのではないか?
そう考えた僕は、ギャンを連邦軍カラーにしました
緑色の腕が最高に気持ち悪いし連邦軍カラーでもない
中学生時代
(中学時代の写真が残ってなかったため緊縛体験した僕で勘弁してください)
僕は地元の中学校に行きました。入学してから気付きましたが、そこは市内でも有名な不良学校でした。
まず人数がとにかく多い。地方なのに1学年で7クラスもありました。一つ上の先輩たちは8クラスでした。一度も会話したことのない人が沢山います。
人数が多いので不良も多かったのかもしれません。
僕はバスケットボール部に入りました。サッカーをやっていたら手を使いたくなってきたからです。
バスケ部の友だちとはひたすらモンスターハンター2ndをやっていました。モンスター狩りまくりの生活です。2ndGが出た頃にはチームワークが完璧になっており、一週間で最上級モンスター(ミラルーツ)を倒して装備を作りました。
すると「難しいクエストはあいつらに頼めばクリアできるぞ」と校内で有名になっていました。モンハンを通して友達が増えました。こんなに簡単に友達が増えたのは中学生までだった気がします。
(改造後のPSPでリカバリーメニューのプラグイン画面を開いた様子。当時はてきとうに入れてたため実際に使ってたのは数個しかないと思う)
中学1年生のときに友人と二人でPSPの改造に挑戦しました。PCスキルがWordしかない僕と友人にとっては非常に難しいプロジェクトでした。最初は「ドライブ」という単語さえ分からず、調べ方も下手だったため車のドライブしか出てきません・・・。
圧縮フォルダを「解凍」するために本気で電子レンジに入れようと思いましたが、データを取り出す術が分からず諦めました。後にVectorというフリーソフトを配布しているサイトを見つけ「解凍レンジ」というソフトを使い事なきを得ました。
当時はPSPのバージョンをセキュリティの甘いver.1.00にしなければ改造できませんでした。でもそれがめちゃくちゃ難しいんです。バージョンが高いと自作アプリも起動できないのでバージョンが落とせません。公式は脆弱性のある古いバージョンを使ってほしくないからです。そのため、PSPのOSを破壊して工場出荷時へ戻す必要があります。
「PSPのアップデート中に75%へ達したらバッテリーを外して電源を切れば工場出荷時に戻る」というガセ情報に騙されて一台のPSPをお釈迦にしてしまいました。失敗してもラップにくるんで一晩冷凍庫に入れれば直ると書いてあったけど直りませんでした。ネットって怖い。
(出典:ジルの覚え書き ~PSPとかやってみた(改め)~ )
ガセ情報にまんまと踊らされた僕らですが、次は「ジグキックバッテリー」を手に入れようと考えました。ジグキックバッテリーとはPSPを改造(CFW:カスタムファームウェア)するために必須のものです。ジグキックバッテリーの入手方法は「買う」か「作成する」しかありません。また、作成するにはCFWで自作アプリを起動するか、バッテリーを分解して回路を改造するしかありません。
僕はお釈迦になり冷凍庫に放置されていたPSPのバッテリーを分解しようと思いマイナスドライバーでこじ開けようとしましたが中の回路に触れて煙が出たのでやめました。(ネットには「異常がでたら遠くへぶん投げること。爆発して腕が吹っ飛びます」と書いてありました)
(出典:手榴弾 - Wikiwand)
後に友人が秋葉原に「ジグキックバッテリー」を売っている店があるという情報をキャッチしました。近いうちに友人は父とアキバに行くらしいので買ってくるように頼みました。
アキバで友人は2帖もないような小さな店に行ったそうです。まるでそこは闇ショップのような雰囲気だったといいます。
かくしてジグキックバッテリーを手に入れた僕らは、事前に作成していた改造に必要なツールである「マジックメモリースティック」と組合せてPSPを工場出荷時へ戻すことができました。ちなみに、ジグキックバッテリーとマジックメモリースティックの組み合わせをパンドラバッテリーと呼びます。
古いバージョンの脆弱性を突いたソフトを起動し、なんとかCFWを搭載したPSPを作成することができました。CFW化するのに1年もの歳月がかかりました。
(PSPのホーム画面を改造した様子。バッテリー残量をシュタインズ・ゲートの世界線変動率として表示してることに懐かしさを感じます)
僕らはさっそくモンスターハンターの世界で空を飛び回りました。ギャグマンガ日和が元ネタの「ムーンジャンプ」というコマンドを使い、作られた箱庭から飛び出し世界の果てまで行きました。そこで僕は「何事もやればできる」という事を実感しました。
お釈迦になったPSPはパンドラバッテリーを使ったら改造された姿で息を吹き返しました。
「一度倒されたけど主人公へ復習するために改造人間になって戻って来た」という突然の謎展開に胸が熱くなりました。
PSP改造プロジェクトのおかげで僕のITスキルは飛躍的に伸びました。やっぱり能動的に学ぶことが大切なんですね。
友達と遊んでいたら卒業の時期が迫っていました。
1年生のときに出席した卒業式では、卒業生の一人が卒業証書をもらった瞬間に「パンッ!」とクラッカーを鳴らしました。保護者と先生が見ているなかで凄い勇気だなと思いました。僕が卒業するときも誰か鳴らさないかなーと思っていましたが誰も鳴らしませんでした。でも、窓は割られていました。
卒業後、学校の前を通ると防犯カメラが付いていました。でも、窓は割られていました。
高校生時代
(光の具合で髪色が茶色く見える)
地元の進学校(男子校)に入学しました。家から自転車で5分という近場だったことが決め手でした。僕はその高校のバスケ部の顧問が嫌いだったため入部しませんでした。中学で同じバスケ部だった友達も入りませんでした。中学の先輩も入っていませんでした。
地毛なのに「色がついてる」とか、その顧問からは髪の色について何かと言われました。
僕は軽音部に入りギターを始めました。一番最初に弾いたのは教本に載っていた「ソラニン」です。
今でもお気に入りの一曲です。
2年生の文化祭でアニソン(けいおん・ガルデモ・バンプ)を弾き、僕は軽音部を辞めました。勉強をしたかったのと、あまり楽器を弾きたくなくなってしまったからです。
時間はできましたが勉強は捗りません。いつまで経っても「なんとかなるだろう」と思い自宅に帰ったらニュー速を読み、インターネットの海に溺れていました。なかでも、当時2chで話題になった「ゲーセンで出会った不思議な子の話」を読んで感動していました。
3年生になると午前中で授業が終わります。お昼に帰宅し「笑っていいとも!」と「ライオンのごきげんよう」を見ていました。
学校帰りにマックへ行くことなど一度もないまま、帰宅部のプロとして高校生活を終えます。青春なんて、ありませんでした。
大学生時代
(ネモフィラの前でニヤつく僕)
大学入学を機に絶対成し遂げたい目標がありました。それは「コミュニケーション力を付ける」ことです。今更ながら「コミュ力って大事だよな~」と気付いたのです。
地方の大学に行きました。生まれて初めての一人暮らしです! もちろんアパートは大学の近場。歩いて30秒で着きます。家賃も30000円というなかなかの安価です。
まず僕はアパートの隣人へ挨拶に行きました。定石どおり「つまらないもの」を持っていきます。
隣人は同い年で同級生でした。僕らはすぐに意気投合し、洗剤のジョイをもらいました。
(あまり自炊をしなかったため大学生活中に使い切れなかったジョイの図)
僕は朝が極端に弱いためテストの日は隣人に起こしてくれるように頼んでいました。LINEに返事がない時は壁ドンをして起こしてくれました。僕はレストランのアルバイトをしていたため、ピザなどの料理をあげました。
雪の降る夜、二人とも異様にテンションが上がり大学のグラウンドで遊んだことがあります。パジャマ&裸足だったので死ぬかと思った。
雪の時期になると隣人へいたずらをしたくなってきますよね? 僕は扉の前に富士山を作ったりしました。
翌日、僕の自転車は雪に埋められていました。
高校と同じく、僕は軽音楽部に入りました。そこでは最高の仲間ができました。ちなみに隣人も軽音楽部なので隣の部屋からギターが聞こえてきます。
作曲したいという気持ちとシンセの音が好きという理由から、シンセサイザーを買いました。ライブハウスでPerfumeを弾いたりしました。その時、中田ヤスタカって天才なんだなって思いました。
だって「チョコレイトディスコ」なんていう言葉、普通思いつくか? Perfumeが歌っている姿は可愛いけど、作ってるのはヤスタカだからね? 「本当に可愛いのはPerfumeじゃなくて中田ヤスタカ」って友達が言ってました。
僕は1年生の後期に、学生に「ICTスキル・思考力・プレゼンテーション」を教えるアルバイトを始めました。スタッフは一人の職員を除いて全員学生で、運営は2年目スタッフが行っていました。新人の僕はひたすら講義プランを覚え、プレゼンテーションの練習に励みました。そこで苦手だった自己表現を克服し、ある程度のプレゼンなら問題なく行えるようになりました。
2年目、僕は副座長になりました。まずは先輩達の前で今後の方針を説明する仕事があるため、座長の家に行き計画を練りました。1年目に感じた違和感やそれをふまえたやりたいことなどを言い合い、組織のヴィジョンを明確化していきます。
計画を伝えるためには論理性が必要不可欠です。ただ、座長には論理性がありません。これはとある先輩が組織改革のためにワンピース型の組織を提案したからです。
ワンピース型の組織を簡単に説明すると「リーダーは夢を唱え続けていれば良い」というものです。ワンピースのルフィーは馬鹿だけど気持ちは誰にも負けません。そんなルフィーが「海賊王になる」という一つの目的を叫んでいると、周りも「コイツとなら本当に叶えられるかもしれない」「コイツを支えたい」という感情が生まれます。「リーダーは完璧でない方が良い。それよりも人を動かす力が重要」というわけです。
座長には論理性がないため、僕がやるしかありません。先輩に聞いたり本を読んだりして思考力の強化を図りました。
3年目、僕は新人採用チームのリーダーに任命されました。新人採用は組織にとって一番重要なプロジェクトです。学生が主導でやっているため長い人でも4年程度で卒業します。その短い間に活躍してもらうには、最初の資質が非常に重要です。ただ、資質といってもPCスキルなどは関係ありません。ほとんどの学生が未経験の為、採用で大切なのは熱意と考え方です。
しかし、一つ大きな問題がありました。それは「応募してくる人数が少ない」ことです。欲しい人材の条件は決めたけど母数が少ないので選ぶことができない。結局、マッチングが上手くいかず毎年5人ほど辞める状態が続いていました。また、採用時期を過ぎてから「PCスキルを教えるだけで、そんなことをやってるなんて知らなかった。それなら入りたかった」という人も出てきます。
こっちはしっかりと仕事内容を説明しているつもりです。しかし、ただの説明では興味のない人や自分の中で決めきっている人には何も届きません。そのため僕は「新人スタッフの1年間の活動を体験できるセミナー」を座長と共に作り上げました。
当時、僕と座長は就職活動をしていたため、そこで得た経験を活かしました。結果的に、9割のセミナー参加者がスタッフへ応募してくれました。また、辞めたいというスタッフが一人も出ませんでした! これはめちゃくちゃ嬉しい!
これらの経験が就活で非常に役立ちました。特に就活のグループディスカッションでは大きな力になりました。経営に大事なビジネスヒエラルキーの考え方やお客さんへの営業、新人育成、新人採用の経験があったため、本当に良かったと思っています。
(とある企業の課題で使用するために近所の公園で撮った写真)
(3月2日、合同説明会に行くのを辞め座長と江ノ島観光をする様子)
また、この活動を通して大きな自信もつきました。
講義プランアップの締切前日などはチームメンバーの家に泊まり込んで徹夜するなどのかなり苦しいアルバイト(もはやアルバイトという感覚ではない。バイトだったらブラック過ぎる。学生団体みたいな感じ)でしたが非常にためになりました。この活動があったので地方の大学に行って正解だったと思っています。
(研修中に疲れ果てた顔でお菓子を食べる僕)
(研修中に透明化しだす僕。たぶんこのとき一度死んでる)
そんなこんなで大学生活を満喫した僕は、4年で大学を卒業します。
社会人時代
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SEとして働いています。
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