「昔はもっと○○だった!」「今は○○が足りない!」などの話を聞いたことがある人は多いと思います。年上の方からこの話をされるたびに「それは良いのか?」や「知らんがな( ゚Д゚)」って 気持ちになります。
「昔は~」という話ではほとんどの場合「昔の方が良かった」という結論に達するわけですが、それを聞いてもこちらにとっては全然メリットを感じないことが多くあります。
僕はとても言いたくなります
「え!? それ今の方がよくない!?」
何故このような意見の食い違いが起こるのか? 一つの要因は、感情的な良さを論理的に納得させようとしているからだと思います。
(出典:今年もやります!映画ドラえもん過去35作品一挙見放題配信! | ビデオパスnavi)
僕は先日、Amazonプライムビデオに登録されている大長編ドラえもんを見ていました。「のび太の宇宙小戦争(リトル・スター・ウォーズ)」です。ピリカ星という星から地球人よりも小さなピリカ人の大統領がやってくる話です。どうやらピリカでは戦争が起こっているようで、逃亡してきたようです。「戦争」というテーマを扱っているためか、哀愁漂う場面があります。
特に、武田鉄矢の曲が流れる場面は感動します。久々に見て「あ”ぁ”~! 旧・ドラえもん最高なんじゃ^~」と思いました。弟の前で涙腺が崩壊しそう。
「ぼーくは~どおしーて~大人に~なるんだろう~♪」
感動に浸りながら、僕の頭の中に引っかかりが生まれました。
「これ、『昔は良かった』ってやつじゃないか?」
おそらく、今の子供に聞いても「旧・ドラえもんが良い」という声は上がらないでしょう。だって新シリーズの方がストーリーが練られてるしキャラも絵も綺麗なのでコンテンツ自体じゃ勝てないよ。
僕も就活中に「新・のび太の日本誕生」を見たんだけど昔は感動しなかったポイントで泣きまくりました。演出で良い感じに強調されてるんですよね。
では、僕が旧・ドラえもんの「のび太の宇宙小戦争」で感じた「これだよ! これこれ!」という感覚はなんだったのだろうか?
やはりこれは僕の勝手なノスタルジーでしかなく、コンテンツ自体の評価とは無関係なのではないか?
「昔は良かった。でも今は~」という話をする大人たちの話に戻すと、ノスタルジーという感情的な想いををまるで論理的にコンテンツ自体を評価しているように語っているので、年下の僕らは違和感を感じるのではないか?
年上の方から「昔は~」という話が出てきたら、僕は「のび太の宇宙小戦争」で流れる武田鉄矢の名曲「少年期」を想い出すことにしました。あの気持ちで語っているのであれば、僕は「はい」と言い続けほとんど意味の無い話を聞き続けていよう。誰だって子供の頃に戻りたくなる瞬間はある。
僕は少し優しくなりました。